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息苦しさを生き抜く

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喪中なのでおめでたくはないのですが、新年になりました。年末に書いていたブログが書き終わらなかったので、改変して新年にあげます。

最近、細野晴臣の70年代のアルバムをよく聞いています。というのも少し前の朝日新聞「仕事力」というコラムにあった細野晴臣の談話にすごく感じ入るところがあったからです。

 僕は、今の時代がなかなか息苦しい要因として、「あなたはどう考えるか」「あなたは何を選ぶか」といった自分の意思を絶え間なく問われる現状があると思う。やりたい仕事は自分で決めようと言われるし、広告や雑誌などはターゲットをとことん細分化して自分に迫ってくる気がします。いつも、どんな時でも、もっと言えば音楽の趣味も「あなたは何が好きか」と個人の答えを強いられていませんか。
これでは、地域や家族といった社会的な価値観から切り離され、個人が点としてしか存在できなくなる。それは豊かに生きるための財産を受け取らないということで、まさに、僕がオリジナル曲の創作にあえいでいた若い時に近い。でも気付けると思います。既にある伝統って、みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたものだから、あらゆる英知が蓄えられていると。それを学び把握してから、自分のありようを決めてもいいんじゃないですか。
若いのだから、新しい発想を持ち、とがって仕事をするべきだなんて風潮には、まず先人を学んでからと考えてみてはどうですか。仕事とは、どうやって多くの人の糧になれるかを工夫することに尽きるから。

これに感じ入るということは、私も齢をとってきた証拠だと思います。広告やサービスを個人向けに最適化することを良しとする風潮ってあるでしょ。ネットの広告が代表例で、それをきめ細やかなサービスとか言い換えて、あたかもいいことのようにいうんですよね。

最近はそれを受け止めるのがきつくなってきました。自分向けの情報量が多すぎて、無視するのに疲れるというのが正確なところかもしれません。

 このコラムの良いのは、最後の「仕事とは、どうやって多くの人の糧になれるかを工夫することに尽きるから。」というところです。「多くの」「人の糧」「工夫」、この3つがとくに良いです。

とがって仕事をしている姿は、時にかっこよく見えます。「情熱大陸」なんて、そういう演出ですよね。でも、とがることが本質ではなく、工夫の結果として「とがる」こともあるのでしょう。

 そんなことを一瞬考えましたが、次の瞬間には、大晦日のテレビのことを振り返っていたりします。

  • 井上尚弥は強かった
  • 紅白を初めてフルで見た
  • AbemaTV の「朝青龍押し出したら1000万円」はおもしろかった     等々

まあ真面目なことばかり考えていられないのですね。

この不真面目さ、言い換えれば不規則、非効率は悪いことではないと思っています。AIとの付き合い方をときどき考えるのですが、こういう感覚は機械には難しそうな気がします。

だから、不真面目さを真面目に考えることが、未来に向けては役に立ったりして…とか、今年も、あれこれいろいろなことを考えているうちに、どんどん時間が過ぎて、息苦しさを生き抜けると良いですね。

そして、願わくば、少しは息苦しさがマシになること、息苦しさにできる範囲で対抗していく一年にしたいです。最後になりましたが、本年もよろしくお願いします。