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The New Takeuchi Journal Plus+

On The Web Worldwide Since 2001.01.01

「フロスト×ニクソン」

映画

見るつもりはなかったけど見てきてしまった。ツタヤに返却に行ったついでに金券ショップを除いたら750円でキップがあったのでついつい。なんか、武蔵野館株主優待券を渡されて、それを見終わったら残りの券を買い取ってもらうという、18キップを人に借りるような感じの方式だった。


この映画の事前情報は町山さんのポッドキャストとかで仕入れていたので万全。いや、万全すぎてまったくドキドキせず、ちょっと困った。たとえば、ニクソンが電話をかけてくるシーンが架空のものだとか、あとから知る分にはいいんだけれど、そのシーンを見る前に知っているとちょっと冷めちゃう。ずいぶん引いた見かたになってしまった。


内容はニクソンを引きずり出して謝らせる。雑にいうとそんな話なのだが、フロストにしてみれば悪徳政治家を懲らしめたいわけではなくアメリカ再進出の手段に過ぎないところがおもしろい。最後にブレーンたちが大喜びするのだが、喜んでいる意味は全然ちがうわけだ。だから途中でフロストは金策のことしか考えていないので、政治のブレーンたちの言葉はまるで届かない。


ちょっと気になったのが、あまりにボクシングを模したつくりになっていたこと。セコンドが飛んでくるように両者のブレーンが飛んでくる。ニクソン側のケヴィン・ベーコンなんて試合に介入する将軍KY若松みたいなものだ。もともとが舞台劇で動きのない内容に躍動感を与えるためだというのはわかるんだけどね。


自分は格闘技とかプロレス好きなので、「〜の格闘技」とか「プロレスじゃないんだから〜」という言葉に過敏だ。大体そういう物言いをする人が格闘技とかプロレスのことをたいして考えたこともないだろうという風に思っていたりする。だから、こういうつくりだと「言葉のボクシング」とか「インタビューは格闘技」とか、そういう意見が出てきそうなのがイヤなのだ。例えとしちゃうまいんだけど、自分は認めたくないんだよな。これは完全に個人的問題。


それにしても夜の電話のくだりがなかったら、フロストはなんとなく勝ったことになって、ちっとも映画になりゃしない。昨日見た「映画は映画だ」を思い出す。そのままじゃ映画にならないことはある。なんか、よくなさげに書いてきてしまったけど、おもしろい映画です。あまり調べて行くより、ウォーターゲート事件についてぼんやり知っているくらいがちょうどいい気がする。