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「立喰師列伝」

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押井守監督の最新作を公開初日に見てきた。最新作っていっても、これまでの作品を見ているわけではない。たしか、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」のビデオがビルボードチャートで一位になったときにロッキングオン渋谷陽一がインタビューしていたのを読んで、内容は忘れたものの鬼才だなぁと感心したのを覚えている。

戦後間もない昭和20年、闇市にたたずむ一軒の立喰い蕎麦屋に謎の男が現れた。この男は「月見の銀二」と呼ばれる伝説の立喰師で、彼の容赦ない「ゴト」に店主は震撼する。時代は変わり、美貌の女立喰師「ケツネコロッケのお銀」や「哭きの犬丸」など多くの立喰師が、ただ一食のために己の全知と全能を賭け飲食店主に挑んでゆく。

というストーリーに惹かれて、今回劇場に足を運んだ。結論から言うとちょっと期待はずれだった。いくつか期待していたのに、それが期待値に達していない部分があったからだ。


ひとつは立喰師たちの手口があまりバラエティに富んでおらず、全知全能を賭けているように見えなかったこと。また、店主の無力、というか無抵抗なところも気になった。困難を突破していく爽快感みたいなものがなかったことがもったいなかった気がする。たとえば、立喰師を追い詰めていく銭形のとっつぁんみたいな警官が一人いれば、ずいぶん話は変わってきただろう。


もうひとつは「戦後史」を描くことが一つのテーマだったにも関わらず、それがうまく描かれていないところも物足りなかった。ニュース映像をCG化した演出はとてもおもしろかったのだが、「戦後史」と「立喰師」があまり関わりあっていないので、「戦後史」を描くのに最適のテーマではなかった気がする。ラーメンとスープそれぞれの味はいいのに、絡み合っていない店のようだった。


昨日、六本木に行ったときに「ダンサーの純情」という韓国映画のポスターが地下鉄にたくさん貼ってあった。「どんな朽ち果てた現実にも、きっと天使は舞い降りる」というキャッチコピーが書いてあって、自分はなぜだか激しい怒りを覚えた。帰る間、ずっとそのことを考えていたのだが理由は分からずじまいだった。


そして、その理由は今日分かった。韓国映画全般に言えるのだが、売り方が「純真」「ピュア」一辺倒なのだ。そして「純真」を訴えるのに「天使」とかそういう言葉を使うことが多い。一応言い換えているつもりなのだろうが、きわめて直喩に近くて奥行きがない例えかただと感じる。自分ははっきりいって下品なやり口だと思っている。


うろ覚えだが、強烈に印象に残っている言葉がある。トーマス・マンが「詩人というのは己のことを語ることが、結果的に世界を語ることになるものだ」と書いていたということを、たしか北杜夫のエッセイで読んだことがある。小学生くらいのことなので、もしかしたら違うかもしれない。でも、自分は詩人というのはすごいものだと感じ、以来ストレートに世界を語るような表現は苦手になった。


立喰師列伝」に期待するところも実はそこにあった。「立喰師」という実際には存在しない者、つまり押井監督の考えたフィクションを用いて、「戦後史」という現実がうまいこと描かれたとしたら・・・これはすごい詩的な映画になっているのではないかと期待していたのだ。結果としては、あまりうまく作用していなかったのだが、試みとしてはすばらしいと思う。この試みを続けてくれれば、いつかうまくいくのではないかと期待して、自分は見に行き続ける。


この試みがうまくいっている作品として、真っ先に思い出すのが白井喬二の「富士に立つ影」だ。築城家という実際にはない職業を通じて、時代の移り行きを描き、かつ人間賛歌でもあるという奇跡のような作品である。それを大上段に振りかぶった大文学調ではなく、講談調のノリの良い書き方をしているところも品が良い。あとはエミネムの曲にもときどき強烈なものを感じる。