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The New Takeuchi Journal Plus+

On The Web Worldwide Since 2001.01.01

机上カレーラーメン研究

カレーラーメンについて書かれた「danchu」と「週刊ポスト」をコピーして、電車の中で読んでいた。気分はフードジャーナリスト(なんて職業があるかどうかは知らないが)。周りの人の視線が少し気になる。確実に自意識過剰なのだが、気になっちゃうものは気になる。


しかし、あれだね。カラーの雑誌をモノクロコピーした料理の写真は、どうしてこうもまずそうに見えるのだろうか。会社で記事を眺めたときは、よだれがジュルジュル出そうだったのにまったく食欲をそそられないのが不思議だ。とりあえず、知識としてカレーラーメンのなんたるかを学ぶのが今日の目標だから食欲はそそられなくても良い。


知識は物事をおいしくさせる。と悟ったような顔でキーボードを叩く私。バカみたい。それはともかくとして、なにかに触れるとき、そのものを知っているのと知っていないのでは感じ方がものすごく異なる。おいしいと言われている店ではなんとなくおいしく感じてしまうし、おもしろいといわれた本は、つまらないと思いながらも、きっとおもしろくなるにちがいないと信じて最後まで行ってやっぱりおもしろくなかったりするから失望×2くらいになって、おおげさに嘆いたりする。


こういった風評と自分の感覚の一致、不一致を楽しむというのは、なかなか乙なものだ。おいしいとかまずいとかは感覚のみで語れるが、「こういう意見があるが自分はこう思う」というのはそこから一歩踏み込んだ専門的な領域だと思う。自分vs世間の対話になるから楽しいのだ。


とくに実感するのは寺とかに行ったとき。寺なんてぶっちゃけ感動するほどのものではないことが多いのだが、事前にうんちくを仕入れていくとアラ不思議、イマジネーションがおおいに広がっていき、ここで誰それがなんとかをしたのだ・・などと感服することが少なくないのだから知識はあるに越したことがない。


よく、詰め込み型の勉強がいけないというが、詰め込んでからじゃないと物事を考えることなんてできないと思う。偉い先生が「詰め込み型はいかん!」というのは構わないのだが、生意気な学生が「覚えたって意味ないじゃん」などとぬかしているのを聞くと、満足に覚えることもできないくせに笑止千万と思ってしまう。


実は今日もラーメンを某店で食べたのだが、これがなんとまずく感じた。はっきりおいしくないと思った。これはいいぞ!自分は少し感動した。なぜかといえば、まずいかどうかの判断基準が自分の中に芽生えているのを感じたからである。これで1週間ばかり連続でラーメンを食べてきたのだが、過去6日間での知識の蓄積がこのような判断を下したことに満足したのだった。


すっかりカレーラーメンからは脱線してしまった。雑誌によるとカレーラーメンのブームは3〜4年前から来ているらしく、どうやらスープカレーの人気ともリンクしている部分があるらしい。その源流には北海道のラーメン屋があるのだが、それ以外にも全国で同時多発的に少しずつブレイクしている。タイプとしては、スープ自体がカレー風味のものとカレーを上にかけたものの2種類がある。自分としては前者を食べてみたい。


うちの会社のある本郷にも人気店があることが分かったので、とりあえず明日突撃する予定。また、千葉県小見川町に最古のカレーラーメン店があるらしいので、週末に自転車で襲撃をかける予定だ。いやはや、食ったこともないくせに盛り上がるのは、ただただ楽しい。食べてガックリだったらそれはそれでおもしろい。ちょっと気になるのは「danchu」と「週刊ポスト」も同じライターの人が書いていること。こいつだけが盛り上がってるんじゃないだろうか?そしておれは乗せられているのではないか?そんな疑念も含め、楽しんでいきたい。