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The New Takeuchi Journal Plus+

On The Web Worldwide Since 2001.01.01

不都合を楽しむ技術

不便や不都合を楽しむ技術というものがある。自分なんぞは、「キャンプなんてきら〜い」とか言いつつ、けっこう野山に出ていき野宿を決行したりしている。実際はフカフカのふとんにくるまって寝る方が気持ちいいに決まっている。それなのになぜエアマットごしに堅い大地を感じながら寝袋におさまるのか。なぜなら、それはマゾだから・・。

ではなく、ときに人は過程を存分に楽しみたくなるのではないかと思う。米を炊くことひとつにしても、家庭では炊飯器に洗ったコメを放り込みスイッチポンで、あとはテレビでも眺めていればいい。いつのまにか炊きあがっていて入り口と出口以外見ることはない。逆にコッヘルで米を炊くときは水の量ひとつにも気を配り、火にかけてからは沸騰の様子を耳、鼻、指先で感じながら微調整を繰り返す。炊きあがる様子を実況中継できるくらい過程を見せつけられることになる。

支配欲なのかな?とも少し思う。すべてを自分でコントロールしたいという願望は、過程を存分に味わうことで達成される。すみからすみまで自分の息がかかったものだからだ。自分でつくったものがおいしく感じられる理由はこのあたりにもある気がする。気分によって味覚はずいぶん左右される。

さて、不便さに自ら飛び込むのにはもう一つ理由があると思う。それはなにが起こるか分からないことへの期待ではないだろうか。先ほどの炊飯の例を持ち出すと、機械を使えばほとんど均等な出来であるのに対して、コッヘル&バーナーで炊くとどういうわけだか出来にばらつきが発生する。感覚的な微調整のせいでもあろうし、外で風に煽られてバーナーの火がゆらめくという物理的な要因もある。コッヘルをあけるまで出来ははっきりせず、一寸先はハプニング的なドキドキが発生して、それが自分を楽しませる。
このように便利すぎ、管理されすぎている現代社会においては、予期せぬ展開、想定外の事態がエンターテイメントとして成立しうるのである。

さて、ここでまたまた「UFC2004」について語らせていただきたい。攻略本もなく、web上にすら情報が落ちていないという情報飢餓状態にあるこのゲーム。まさに東京砂漠、まさに不便な状況である。なんとなく、ゲームをすすめているといきなり隠しキャラが発生したり、シークレットの技をおぼえたりする。まったく予期せぬ展開ばかりで、とまどいながらもちょっと楽しくなってくる。しかも恐ろしいのが、自分がどれだけの到達率に達しているのかまったく分からないところだ。ゴールを見せないことによって、無限の広がりを感じさせるという禅の境地にも似た思想を感じずにはいられない。

このようにキャンプと「UFC2004」の位置づけというのは、『不便さ』というキーワードを通してみると似ている。自分は日常生活の便利さに嫌気がさすと、キャンプに出る。そしてまた「ドラクエ8」の心地よさに物足りなさを感じると「UFC2004」の荒海に乗り出したくなるのだ。