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いろいろなことが起きている

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今日、松尾スズキのエッセイを読んでいて、すごく共感するところがたくさんあったのでいろいろ書いてみようと思う。自分が人に共感するなんて実に珍しい。どこに共感したのかを自分なりにまとめると①「特別扱いされている人を特別じゃなく扱う」、②「物語は世の中をわかりやすくデフォルメしたものだ」という部分だ。
①「特別扱いされている人を特別じゃなく扱う」とは、なんでもいいのだけど、ほとんどの映画とか小説とか人に読まれることを前提にした話では、障害者とか在日外国人とかを「障害者」とか「在日外国人」とかいうカテゴリーに当てはめて役割を与えている。だいたいストーリーにそういうカテゴリーが関係してくる。でも、松尾が言うのはそういうカテゴリーにいる人だって24時間そういうカテゴリーに向き合って生きているわけじゃないのだから、普通の通行人とかコンビニの店員とかの役に配置する方が自然だということだ。
②「物語は世の中をわかりやすくデフォルメしたものだ」とは、たとえば自分が仕事でめちゃくちゃ苦悩したとしていても「今日の夕御飯なに食おうかなぁ」と考える瞬間があるということだ。なんのことかわかりにくいと思うけど、こういう瞬間があるにもかかわらず物語のなかでは「今日の夕御飯なに食おうかなぁ」という瞬間は描かれない。世の中を本当に本物っぽく描くのであれば、本筋に関係ないこういう瞬間を含めてとらえるべきなのだが、実際に描いたら混乱をきたしてしまう。
ときどき友達とドラマの話をしていて、もし自分がドラマをつくるとしたら、なにも起こらないんだけど実はいろんなことが起きているドラマをつくりたいと言っている。なかなか理解してもらえないのだけれど、ズバリ先に書いた二つのことをふまえたいということなのだ。
本筋というものは一応あるのだけれど、それに関係なく、いろんなことが起きてそれがもしかしたら本筋に関係がでてきたり、全然関係なく別の本筋ができていったりというほうがスリリングな気がする。最初は殺人事件が起きて、その関係者を追っていったらなぜか恋愛沙汰に発展してしまい、殺人事件がどうでもよくなってしまったり、そうかと思ったら、ふとした拍子に殺人事件を思い出してジタバタしたり、また忘れてしまったりと、そんなことを繰り返していつのまにか視聴者も殺人事件を忘れてしまったり・・、そんなのがおもしろくて人間らしいんじゃないかと思う。
そうじゃなかったら、思いっきりデフォルメしてしまい、逆説的に先に書いた二つのことを意識する方法しかないんじゃないかと思う。まあ、そんなことを考えてみたわけなんですけど、まだまだ思うところはあるのでしばらくこのネタで攻めてみようと思う。

この日本人に学びたい

作者: 松尾スズキ
出版社/メーカー: 光文社
発売日: 2004/01
メディア: 文庫