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The New Takeuchi Journal Plus+

On The Web Worldwide Since 2001.01.01

「わたしとディスクユニオン」

ぼくは昨年26歳になった。そして、今年は27歳になるわけだ。突然だがぼくがCDを求め足繁くディスクユニオンに通い始めたのが17歳のとき。ちょうど10年が経とうとしている。 10年だからなんだというわけでもないが、十年一昔というように「思えば遠くに来たものだ」という感慨がないわけでもない。それにけっこう何周年記念とかの行事が好きなので「わたしとディスクユニオン」というタイトルでこの10年を振り返ってみようと思う。

11年前の自分はまったく音楽に興味がなく、持っているCDといえば長渕剛の「JAPAN」だけ。歌番組なんて恥ずかしくて見てられねぇや!という態度をとっていた。しかしながら、あまりに興味がない自分に対し「これではいけないのではないか」という疑問がわいてきていた。人との会話についていけなくなる自分を想像すると恐ろしく、なんだか脅迫されるように「音楽を聴くのだ」と思いはじめていた。だから、最初は楽しいから聴き始めたというわけではなく、それどころか楽しくないのに聴いていたのであった。 

Japan

Japan

  • 長渕 剛
  • J-Pop
  • ¥1900

 歌番組をこそばゆく思う自分を捨てきれなかったので、洋楽に走った。歌詞が英語なので"こそばゆ感"が薄まって聴くことができたのだった。最初はレンタル屋に通った。一番最初に借りたのはビースティボーイズのセカンドアルバム。これはたしかファッション雑誌に「これがイケてる!」みたいなことが書いてあってバンド名がかっこよかったので借りたのだった。別にヒップホップに興味があったわけではなく、というよりヒップホップなどという言葉は知らなかったのである。 

 このアルバムをテープにとって繰り返し聴いた(今でも持っている)のだが、当時は何度聴いても好きにならなかった。テープはこの一本きりしかないので毎日通学時に聴いていたのだが「変な曲ばかりである」との感想は一貫していた。そこで当時人気のあったヘビメタみたいなやつに走ってみようと思ったのだがイマイチ肌に合わずダメだった。けっこういろいろ借りたのだが唯一けっこう気に入っていた思い出があるのがデフ・レパードというバンドである。なんだか、昨年のテロを思い出すようなジャケットのアルバムを気に入っていた。どんなアルバムかは忘れてしまったので、今度思い出に買ってみようかと思う。 

炎のターゲット

炎のターゲット

 

 そんなぼくであったが高校二年になって転機が訪れたのだった。

高校2年になったぼくのクラスにはゴリという異名をとる大男がいた。当時人気のマンガ「スラムダンク」の赤木に似ていたからである。長身であったがなぜか卓球部で、このあたりにはびっくりさせられた。彼は洋楽に非常に詳しく「ロッキング・オン」を読んでいた。今ではそうでもないのだろうが、当時、「ロッキング・オン」という雑誌は微妙に敷居が高く、これを読んでいるやつは洋楽に詳しいとぼくは判断していた。うちの学校で洋楽を聴く人も多かったのだが、だいたいがヘビメタで総合的に洋楽に詳しい人は少なかった。前回書いたようにぼくはヘビメタに対応できなかったので、別のルートを探った。

そこでゴリに白羽の矢を立て「なにを聴いたらいいものかね?」と尋ねたところ(もちろんこんな分かりやすいやりとりではなかったが)、「カーターU.S.M.」という答えが返ってきた。なんじゃ、そりゃ?聴いたことない単語だぜ。目を白黒させるぼくに彼は以下のような説明をした。

カーターU.S.M.の正式名称はカーター・ジ・アンストッパブル・セックス・マシーンである。彼らはイギリスのインディーロックのなかではバカ売れしており、歌詞はパンクで曲はポップ、とにかく過激な連中なのである」

そのようなことであったと思う。以上のような経緯を経て、カーター(以下略)の「1992 愛のアルバム」というアルバムを借りた。なにしろ、自分は大いに素人なので、せっかく貸してくれるものが悪いわけがないと思っていた。そう思っている時点で、まともに評価することもできない。悪いと思ったら、それは自分が悪いのだと、自分の耳が、判断力がいけないのだ、そう思っていた。解説も一生懸命読んだ。もとより本を読むのは得意分野だったので音を聴く前に解説を読んで期待を高めた。 

1992 the Love Album

1992 the Love Album

 

 解説から引用すると「70年代パンクのストイシズムと80年代シンセポップのニヒリズム。それに90年代ロックの殺伐感と破壊力。こんな矛盾した3大要素を融合してロック・アルバムをつくるやつがどこにいるか?」とか書いてあって、意味もよく分からず、ぼくはうなずき「そうだ、そうだ!」と感心した。バカだったのですごそうなことが書いてあると「すごい!」と思ってしまったのである。

かんちがい、思いこみ、純真というには頭の悪すぎる単純さetc...あいまって自分はカーターを大いに気に入った。実際、今聴いてみてもなかなかいいアルバムなのであった。3曲くらいはものすごくいい曲がある。しばらくはウォークマンの中身をビースティボーイズからカーターに入れ替え、他のアルバムも聴くようになった。

カーターが影響されていたのは主に70年代パンクである。とくに歌詞においてその傾向が強い。カバーアルバムも出していて、その選曲はバズコックス、インスパイラルカーペッツ、スミス、ワイアー、ジェネレーションX、ジャムというところで圧倒的に70年代パンクに偏っていた。ぼくがとくに感動したのは最後に出てきたジャムであった。なんだかスリリングな探偵小説っぽい曲で(と、当時のぼくは思った)、歌詞も地下鉄で暴行をうけるという(雑な説明だ)ものでぬるい感じのラブソング慣れしていたぼくには刺激的であった。そこでぼくはカーターの次の一手として、ジャムを中心にした70年代パンクを勉強することにしたのだった。

夢うつつでまどろむ午後三時。惰眠をむさぼっていた自分はヨロヨロと目を覚ましつつあり、病人が虚空に手を伸ばすようにリモコンに触れ、ミニコンポの再生ボタンを押した。なんのはずみかランダム再生になってしまった。そのことは分かっていたがそのままにした。眠くて面倒だったからである。

流れてきたのは、甘いバラード調のポップソングだった。あろうことか、女性ボーカルとのデュエットである。「おれは・・・まちがえたのか?」自問する自分。「でも、いい曲だ・・。もうなんでもいいや」自答した自分。続いて、タンバリンがピシャピシャ鳴るノリのいい曲が流れてきた。これもまた非常に甘い。そして、ものすごくいい曲なのだ。実際、いい曲かどうかは分からないが、一発でものすごく好きになってしまったのである。「どうなっているのだ?」再び自問する。体も、心もだんだん本調子に戻ってきて、三曲目が流れてきた。ピアノのイントロに続きホーンも入ったにぎやかな曲である。この曲も好きだ。「まったく、おかしいじゃないか!」興奮して自分は飛び起きた。自分が生きてきたなかで聴いたことのない好きな曲が三曲立て続けで演奏されたのだ。興奮しないでいられようか。

ぼくが借りてきたのはジャムのベストアルバム『COMPACT SNAP』だった。70年代パンク制覇の野望を抱き、第一段として借りてきたのだった。ところが流れてきた曲ときたら上記のようなものであり、すっかり面食らってしまったのだった。もっと幼稚なロックンロールが流れてくるものと期待していたのだが予想外もいいところであった。“THE BITTEREST PILL”、“TOWN CALLED MALICE”、“BEAT SURRENDER”の三曲がそのとき流れてきた曲だ。今から見ると後期ジャムの代表曲でとくに甘いものを選んだ感じである。もはや、初期の荒々しさは消え、洗練を見せスタイルカウンシルへのステップにあった。

 

The Bitterest Pill (I Ever Had to Swallow)

The Bitterest Pill (I Ever Had to Swallow)

  

Town Called Malice

Town Called Malice

 

Beat Surrender

Beat Surrender

 

偶然にも(そして予想外に)パンクの入り口が甘いものになってしまったが、ぼくにしてみればそれは幸いだった。この後期の三曲でジャムを好きになったのだが、考えてみれば前期の荒っぽいパンクサウンドはあまり性に合わない。もし、アルバムを最初から聴いていたらこんなに好きになることはなかったかも知れない。

こうして、ジャムを好きになりディスクユニオンに通うようになるのだが、ぼくは(その2)*1で書いたゴリ経由のいうなれば『カーター経路』とは別のロックへのアプローチ方法を見つけていた。それは思わぬ身近なところにあった。))

自分はわりと本を読むのが好きだったので、図書館に行くことが多かった。学校の図書館は品揃えが悪かったので、もっぱら市立図書館に通っていた。通学途中にあったので部活の帰りなどに寄ってみたりしていた。

音楽に興味を示しだしたはいいものの、なにを聴けばいいか分からなかった。ゴリに勧められるCDはあるものの、やはり勧められた手前、良くないと思っても、けなすわけにはいかない。自分はよく、「なにを聴いたらいい?どれがおすすめ?」と聞かれるが、答えるのは難しい。しょせんは自分の価値観によってチョイスされたものなので、そこを糸口にその人なりの価値整理をしていかないと本当に「良い!」とは思えないと思うのだ。人に勧められたものを「良かった」と思うのは簡単だが、自分で「良い!」と思えるものを見つけるのは困難だ。それは探求の旅で、その先には発見の喜びがある。

自分はどこから手を付けていいか分からなかったので、とりあえず名盤といわれているものを聴こうと考えた。いつものように図書館に行って、いつもは行かない音楽本のコーナーに行ってみた。音楽本とはいったもののタレント本やら、相当くだらない本に混じって「ROCK CDで聴く名盤・名曲693」という本があったので、これぞ!と思いつつ借りてきて熟読してみた。

 

ROCK―CDで聴く名盤・名曲693

ROCK―CDで聴く名盤・名曲693

 

 この本。今読んでも優れものであることが、つい最近再読して分かった。著者が若くないということもあるかも知れないが、エルヴィスからヒップ・ホップまでざっくりと網羅しているのだ。693というまったくわけの分からない枚数のCDが説明されているのだが、その中には相当マニアックなものもある一方でハマーやらニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックなんかの徒花的なものまで混じっている。えらいのはROCKと銘打っているくせにブラック・ミュージックにもかなりの比重を与えているところ、またエッセイ的にロックの歴史が書かれているのもありがたい。

この本の説明を頼りに次に聴くものをえらんだ。ここまでの興味の流れからいくと70年代のイギリスパンクが性に合いそうな気がしていたので、そのあたりを中心に一枚選んだ。自分は多くの中から一つのものを選ぶというのが大好きなので、この作業は楽しかった。
『19曲というヴォリュームだが、鋭いメッセージを持ちながら、サウンド的にも多彩に仕上げられ、飽きさせない充実した作品だ』
この説明に惹かれて、選んだ一枚。それはクラッシュの「ロンドン・コーリング」だった。自分は稲毛駅近くのCD屋でそれを購入した。ソニーのナイスプライスラインだったので1800円という低価格も購入を後押しした。 

London Calling

London Calling

 クラッシュの「ロンドン・コーリング」は不穏なイントロからはじまり、ドラムに導かれるようにヴォーカルが入ってくる。

“LONDON CALLING TO THE FARAWAY TOWNS (遠くの街に向けて、ロンドンコーリング)”

ぼくはこのイントロにすっかりやられてしまった。文句なしの格好良さだった。図書館で借りた本を頼りにこのアルバムを買ったのだがこの選択は大正解だった。ここでちがうアルバムを買っていたら、ぼくの嗜好はまったく別のものになっていたと思う。このアルバムを選んで一番良かったのはいろいろな曲が入っていたということ、それが聴きやすい順番で並んでいたという点である。

2曲目にはロカビリー、3曲目には古いブラックミュージック、さらにはレゲエといった感じでロック博覧会の様相だった。冷静にこのアルバムを考えてみるとローリング・ストーンズの「メインストリートのならず者」を参考にしたのではないかと思う。アナログ2枚組みの長尺アルバムで、胸ぐらをつかむような1曲目(ストーンズは「ロックス・オフ」)からはじまり、自分が影響を受けた音楽の影響を隠しもせずに披露する。感動的なラストにもできたのにロックナンバーで締めくくる(クラッシュ「トレイン・イン・ヴェイン」、ストーンズ「ソウル・サバイバー」)ところも似ている。

それからはクラッシュのCDを買い続けたものだ。おりしもBOXセットが少し前に出た時期だったので、容易に音源をそろえることができた。英語なので歌詞はよく分からなかったが、対訳を読んでみるとなかなか良い詞だと感じたことを覚えている。ぼくが一番好きだったのは「ゲイツ・オブ・ザ・ウエスト」というあまり有名でない曲でこんな歌詞である(少し長いが)。

極寒の大通りでは幸運な奴でいたい
窓に凍りつく冬空をよそに
君を抱いて眠っていたい
でも浮浪者どもは相変わらず歩道で夜を明かし
卑怯者どもは仲間を警察に売り込むんだ
俺はたった今、帰路につき
懐かしい明かりが見える

『GATES OF WEST』 

なにが良いのか分からないし、本当にこんなふうに歌っているのかも分からない。ただ、この曲にはクラッシュのもっていたロマンチックな側面がはっきりでていて、こんな雰囲気が当時のぼくにはすごく新鮮に思えた。今でこそ邦楽の歌詞はいろいろなものがあるが、当時はこんなことを歌っている日本のバンドはいなかったのだ。とかく過剰な感情を歌い込む曲が多い中で、この曲はさらっと素直に心情を吐露していて、いやにすがすがしく聞こえたのだった。

学園祭でガンズ&ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズメタリカが鳴り響く中、ぼくは70年代パンクにどっぷり浸かり始めた。ただ好きになってしまったから、なにも考えず聴いていただけだった。一人で勝手に聴いていたが、音楽の趣味が合う仲間を見つけようとも思わなかった。それまで音楽を聴いていなかったのでコミュニケーションツールとして音楽を考えていなかったのだ。だから、そこから友達の輪が広がっていくことはなかった。昔からの友達に「最近、音楽好きじゃん」と言われるくらいで、自分の好きな曲を勧めることもほとんどなかった。たぶん、『どうせ分かってくれまい』という、あきらめと優越感の混じった気持ちでいたのだと思う。生意気だった。

部活の合間にディスクユニオンに通う日々を送った高校の後半。主に70年代パンクをメインにしていたが、当時パンクは半分無視されていて、パンクコーナーなどというものはなかった。ロックのコーナーに混ぜてあったのだ。自分は本や雑誌を参考書にして、徐々にコレクションを増やしていった。しかし、本来は勉強の参考書を読まねばならなかった、この時期。ぼくは大学受験に失敗し(受かると思ってたのに・・)、春から津田沼代ゼミに通うことになった。
浪人が決まったので、まあ一段落ついた。落ち着いてしまっては良くないのだが、とりあえず、もう高校に行く必要はない、ということがはっきりしたので、残りの高校生活をどのように過ごすか考えた。実際、それを考えているうちに終わってしまったのだが、ぼくは自転車に乗って、そんな考え事をしていた。このころから自転車に乗るときはBGMが必需品になりつつあった。

このころ、ぼくが聴いていたのは「さらば青春の光」のサウンドトラックだった。ジャム経由で興味をもちはじめていたのだった。ジャムのポール・ウェラーが心酔するザ・フーがどんな音なのか聴きたくなった。図書館に行くと、ちょうどザ・フーがサントラを担当したこのアルバムが見つかったので借りてみた。

 

 

波の音からはじまり、スピード感あふれる「REAL ME」に続いていく。このアルバムはもともと73年のアルバム「四重人格」をもとにリミックスを施したものだ。ということだがぼくは未だに「四重人格」を聴いたことがない。だからかも知れないが、ぼくにとってザ・フーといったら、「さらば青春の光」のサントラと「WHO'S NEXT」がすべてといっていいくらいだ。初期の曲の方が有名だが、ぼくはたいして魅力を感じない。それくらい、このサントラは印象深い。

さらば青春の光」の映画自体はそれほどのものではないと思っているぼくにとって、どうして印象深いのかといえば、学校をさぼって自転車に乗っているときによく聴いていたからである。言ってみりゃ不良映画のサントラであり、さぼり気分を盛り上げてくれたのだ。ぼくはこのサントラを聴きながら自転車に乗り、かなり遠くまで足を運んだ。印旛沼付近まできてしまい、見渡す限りの平野を目にしたときに「LOVE REIGN O'ER ME」(いつみても変な綴りだ。スラングか?)が流れてきた瞬間は今でも思い出せる。妙にドラマチックな曲で「えらい雄大なところにきてしまったなぁ」という気分を盛り上げた。今思えばたいして雄大な景色でもないのだが、本来学校にいなければいけない時間に思わぬ田舎に来るのは格別であった。当時は今のようにサイクリングロードも整備されていなかったので、舗装されていない道をノロノロと進んだものだ。「オレはなにをやっているんだろう?」と自答もしたが、好きな音楽を聴きながら、好きこのんで田舎に来ているんだから、「まあ、いいや」という気分もかなりの部分を占めていた。学校をさぼって好き勝手にするのは甘美だった。

ぼくは自分でもザ・フーのCDを集めてみようとしたのだが、あまり売っていなかった。このころはたしか日本版ではベストくらいしか出ていなくて、あとは「TOMMY」と「4重人格」どちらも2枚組みロックオペラで手を出しづらかった。94年、たしか浪人のときに再発シリーズがでたのだが音質がびっくりするほど悪くて、買ったは良いがすぐに売ってしまった。その数年後にボーナストラック入りでリマスター盤が出てしまったのだから、先に再発された盤を購入した人の気持ちを察すると胸が痛む。

今ではずいぶんましなのだが昔は音質のひどいCDというものを平気で売っていた。ぼくは音にうるさい方どころか、今でもしょぼいミニコンポで聴いているくらい雑な耳をしている。そんなぼくが「これはちょっとひどいんでないかい?」と疑問をもってしまうようなものである。例としてはバーズがあげられる。これは本当にひどくて、彼らの魅力の半分も聴くことができなかった。たまたま、イタリアに行ったときにバーズのリマスター盤が安かったので買ってみたら、これが同じバンドか?と思うほどのちがいでびっくりした。彼らの魅力であるハーモニーが耳にしみこんでくるようだった。

もうひとつ例を挙げるとビーチボーイズも同様にひどかった。ぼくは「SUMMER DAYS」を途中まで聴いてやめてしまった。時間の無駄だと思った。浪人時代に、衝撃の遭遇をしなければビーチボーイズの魅力を知らないまま、中古CDの山に囲まれることなく一生を終えていったかも知れない。ぼくが衝撃の遭遇をしたのは千葉のディスクユニオンだった。

(続く)

*1:かつてのページでは6回に分けた連載でした