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The New Takeuchi Journal Plus+

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BGMにできない音楽 THE DOORS / 「STRANGE DAYS」

書き物大全集 魔法のiランド 音楽

 

 

Strange Days

Strange Days

 

なぜ、ドアーズか?ちっとも、忘れられちゃいないじゃないか?去年はベスト盤が発売されて、オリジナルアルバムもリマスターされたというのに。実はそう思っているのは、ロック村の人たちだけなのである。
ズバリ、ドアーズは有名じゃない。無作為に選んだ人たちに聞いてみればよく分かる。ほとんどの人が知らないと思う。同じことは、レッド・ツェッペリンとかジミ・ヘンドリックスとか、ロック好きの人なら当たり前のように知っていることすべてに当てはまる。ぼくは古いロックが大好きだけど、現状がそういうものだということは重々分かっている。ビートルズだけだ。またはカーペンターズ。それくらいしか生活レベルに浸透している洋楽はないと思う。

ドアーズが有名じゃないことに気付いたのは、大学4年の時だった。自転車で北海道をツーリングしているとき、ぼくは退屈しのぎに小さいラジカセをフロントバッグに装着している。好きな曲をかけて、気分を盛り上げて走るのだ。町なかでは恥ずかしいので、さすがに音を絞ったりしているが。

たしか、室蘭の地球岬というところをでて、登別温泉に向かっている途中だった。後輩の自転車がパンクしたかなにかで、一時停車していたとき、ラジカセからはドアーズの「ハートに火をつけて」が流れていた。その間奏部分。狂ったようなキーボードとドラムの連打される部分がある。それに続いて、ギターソロめいたもの。ジャズを意識した構成だ。その部分が流れてきたとき、後輩の一人が「なんですか?この変な曲?」とたずねたのだ。

ぼくは正直いってびっくりした。67年7月に全米チャートを征した有名曲中の有名曲である。連想ゲームでドアーズといったら「ハートに火をつけて」というくらいのものだと思っていた。けれども、実際はドアーズも「ハートに火をつけて」も案外知られていないのだった。

そのとき、驚くとともに、こんなことも知らないのかとあきれたりもしたが、あとから考えれば、ぼくがロック村にどっぷりだったから、ドアーズが有名だと勘違いしていただけなのだった。逆にいえばぼくの方こそ「ドアーズが有名じゃないこと」を知らなかったのだ。この発見は大きかった。海だと思っていたら、湖、いや水たまりだったことに気付いたのだった。以来、自分のいるところは常に水たまりだと思うようになった。
後輩が「変な曲」と評したのも冷静になればうなずける話で、あまり「ハートに火をつけて」に似ている曲は見あたらない。それをそのまま口にしただけなのであった。
実はこれはすごいことなのではないだろうか。例えばラジオを聴いていて、その曲に対して「変な曲」と評することはあまりない。BGM的に聴いていて、頭に引っかかるということはごく珍しいことだと思う。つまり、曲を聴き流せないのだ。ドアーズの曲なんて30年も前の曲で古びていてもおかしくないのに、後輩はついつい「変な曲」と口にしてしまうほどのインパクトがあったということだ。

こんなインパクトを与えられる曲はそうはない気がする。実際、ぼくはラジカセを装備してツーリングを行っているわけだけど、反応があったもので、印象に残っているのは、スティービー・ワンダーの「汚れた街」、エアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」、それからシンリジィのなにかの曲くらいだ。

ドアーズの曲の魅力はむずかしい。ネットで検索していて見つけたページにファーストアルバムについて「個人的にも決して好みとは言い難い。しかし,だ。ジム・モリスン率いるこのグループには,狂気じみた何かがある」と書かれていて、そうなんだよなあと思った。ぼくも最初は好きになれなかった。とにかく、枠に収まらない。テープ編集をすればドアーズの曲だけ妙に浮く。他のバンドの曲のとなりに並べると違和感があるのだ。映画「フォレストガンプ」のサントラにおさめられた「ブレイク・オン・スルー」の浮き方なんてすごい。次の曲がサイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」だからというのもあるが、構成として聴くに耐えない。

ドアーズのセカンドアルバムのタイトルは「STRANGE DAYS」邦題は「まぼろしの世界」。そのなかの「PEOPLE ARE STRANGE」での印象的な一節。“People are strange , When you are stranger”。ぼくなりに訳すと「きみがよそ者のとき、人はみな奇妙に見える」。

『きみ』を『ドアーズ』に置き換える。これこそドアーズのあり方そのものに思える。ドアーズは徹底して、よそ者であり続け、その視線で曲を作りあげた。ロック界でもよそ者だった。だから、どこまでいっても他のバンドとかみ合わない。オリジナル、ワン&オンリーという言葉の範囲を超えてしまっているのだ。そして、その姿勢が永遠の反逆につながり、いまだにロック好きには、たまらない存在になっているのだ。

よそ者だったドアーズはいまはロック村で愛でられる存在だ。しかし、村以外の人、つまり例に出した後輩のような人に聴かせてもインパクトがある。よそ者でもあり続けているのだ。その楽曲は聴き流すには強烈すぎる。BGMとして不適当なロックの力を持っているのだ。でも、思い出したけど、北見の商店街じゃこの曲がかかっていた。この商店街はロックばかりかけていたなあ。どう説明したらいいのか。うーん、こんな曲をかける商店街の姿勢がロックだということなのかな。